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山本 マサヤ
【心理戦略コンサルタント&メンタリスト】
『心理学で人間の不思議を解き明かして社会実装する』
心理学を使って「人・企業の可能性を広げる」ため、心理学を駆使したマーケティング戦略立案や人材育成のセミナーを開催。
また、メンタリズムという心理誘導や読心術のエンターテイメントショーも行う。
トップランナー100人選出(クラウドワークス株式会社、株式会社サイバーエージェント)/MENSA所属
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「修行」というと、どこか部活的な、圧倒的努力を伴うイメージを持つ人が多い。
多分、修行というと滝行とかバシバシ叩かれる座禅のイメージを持つからだろう。
仕事も同様で、新社会人は会社に入ると、どこか「修行」的な仕事のやり方になってしまう。
残業をしながら資料を作りあげたり、プログラミングをしたり。
しかし、これは、修行ではなくて、苦行になっている。
苦行は修行に繋がる場合もあれば、苦しんでただの時間の浪費(または忍耐力をつけるだけ←問題解決力などのスキルの向上には繋がらない)になってしまう。
苦行 ≒ 修行
「修行」にする方法は『反省と振り返り』である。
本来、修行とは、学問や技術を修めることだ。
ただ、体力を消費して苦行に耐えるだけでは、何かを修めることに繋げるのに、あと1歩足りない。
その一歩が、『反省と振り返り』なんだと最近思う。
その日の終わりに、学んだことを手書き(推奨)やスマホのメモに書く習慣を身につける。
修行とは、苦行である必要はない。(釈迦ヨロシク)
釈迦が苦行の先に、座禅による内省や自己対話という方向に舵を取ったように。
「あいつ楽しやがって」という考え方自体間違ってる。
ちゃんと成長している人は、『反省と振り返り』を必ずやっている。
その日の経験を学びに繋げることが修行なのだ。
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